段ボールに囲まれると、なぜか落ち着く。

これは人類のうっすらした秘密だと思う。

引っ越しの途中、空になった段ボールを横に置く。ちょっとした壁ができる。すると部屋は同じ広さなのに、急に「ここは自分の区画です」という顔をし始める。

別に高級家具ではない。防音室でもない。ホームセンターで積まれている、あの茶色い紙の箱である。

なのに、ちょっと安心する。

世界が広すぎる時、人は箱に帰る

広い空間は自由だ。

でも自由すぎる空間は、少し疲れる。

視界にはいろいろ入ってくる。人の気配、部屋の散らかり、未処理の用事、なぜそこに置いたのか分からない充電ケーブル。世界はいつも、頼んでもいないのに情報量が多い。

そこで段ボールである。

段ボールは、世界を少しだけ遮る。

完全な壁ではない。強度もない。防犯性能もだいぶ怪しい。けれど、目に入る範囲を少し減らし、「ここからここまで」という小さな境界を作ってくれる。

人間はたぶん、世界そのものよりも、自分で把握できる範囲の世界を好む。

段ボール囲いは人間用の秘密基地である

子どものころ、机の下、押し入れ、布団の中、部屋の隅に作った謎の基地が妙に落ち着いた記憶はないだろうか。

あれは豪邸ではない。

むしろ狭い。

でも、狭いからよかった。

全方向から見られない。背後を取られにくい。何かに包まれている感じがある。そこには「この小さな世界なら管理できる」という安心感がある。

段ボール囲いも同じだ。

オフィスでも、自室でも、作業机でも、視界が少し区切られるだけで脳内の騒音が減ることがある。

だからカプセルホテル、個室ブース、半個室カフェ、ネットカフェの仕切り席には、妙な人気がある。

人は必ずしも「広さ」だけを求めているわけではない。

時々、ちょうどよく狭いことを求めている。

高級な個室と段ボール囲いは、方向性が同じ

もちろん、高級ホテルの個室と段ボール囲いは違う。

片方はふかふかで、片方は資源回収の日に出される。

しかし、安心の方向性だけを見ると少し似ている。

  • 視線が遮られる
  • 自分の領域が分かる
  • 外界の情報量が減る
  • 何かあった時に内側へ戻れる感じがする

高級な個室は、お金で境界を買っている。

段ボール囲いは、紙で境界を作っている。

つまり段ボールは、庶民派のパーソナルスペース装置である。

言い換えると、尊厳の仮設住宅である。

人類は「完全な開放感」にそこまで強くない

現代社会は、なぜか開放感をありがたがる。

ガラス張りのオフィス。大きな窓。オープンスペース。フリーアドレス。どこでも働けます、誰とでもつながれます、さあ自由です。

ありがたい。

ありがたいのだが、ずっとそれだと、心のどこかが「一回しまわせてください」と言い出す。

常に見える。

常に入ってくる。

常に反応できる。

その状態は、自由というより、開きっぱなしのタブが多すぎるブラウザに近い。

だから人は、段ボールで囲いたくなる。

世界を拒絶したいわけではない。

ただ、いったん読み込みを止めたいだけなのだ。

段ボールに入るのではなく、世界を小さく畳む

段ボールに囲まれる安心感は、「閉じこもりたい」というより「世界を扱えるサイズにしたい」に近い。

部屋全体を片づけるのは大変でも、机の上だけなら何とかなる。

人生全体を整えるのは重くても、今日の作業場所だけなら整えられる。

社会全体がうるさくても、目の前の小さな領域だけなら静かにできる。

段ボールは、そのための雑で優しい道具なのかもしれない。

完璧な空間ではない。

でも、仮でいい。

仮の壁、仮の個室、仮の秘密基地。

人間は仮設の安心でも、わりと助かる。

まとめ

段ボールに囲まれると落ち着くのは、たぶんおかしなことではない。

広すぎる世界を、少しだけ自分のサイズに折りたたんでいるだけだ。

だから、もし部屋の隅に段ボールを置いて「なんか落ち着くな」と思ったら、それは怠惰でも奇行でもない。

人類が、世界の情報量に対して編み出した、かなり原始的で、かなり実用的なUIなのだと思う。

世界がうるさい日は、箱でいい。

高級な箱でなくてもいい。

茶色くて、軽くて、ちょっと頼りないくらいの箱でいい。

その頼りなさごと、自分の領域になる。